| 車椅子をオーストラリアで寄贈しました。 |
車椅子をオーストラリア、ニューサウスウエールズ州で寄贈しました。 ![]() ![]() 寄贈先は、Willowood, Columbia Aged Care Services ( Chatswood, NSW ) です。 下記の方々の慈善活動精神のバトンパスにより寄贈できました。 深く御礼申し上げます。 大森学園高校の生徒達、オーストラリア、グレートバリアリーフ、ハミルトン島 のSales & Operation Managerの林田大三郎さん、(財)日本社会福祉 弘済会、NPO法人 ネパール支援の会、Wheelchair Donation Club。 ありがとうございました。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ どこにも日本人はいますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| 火山噴火の影響で迷走、その2 The Long way to Norway Vol.2 |
ただ待っているだけでは早く帰国できるチャンスを逃すだろうし、 航空会社のウエブサイトは早朝アップデートされないだろうし、 こんな事態に信用に値するものではない。 午前7時に始業するとの電話予約でOKになったとしても、 午前8時40分出発の便に乗るためには、その時点にホテルに いたのでは間に合わない。 結局、多少の楽をするための小細工はせずに空港に詰める ほうがいいと判断。 早朝ホテルをチェックアウトする。 ディナーは無料でサービスしてくれたけど、ビールとワイン分を 精算する。 夜勤のフロントデスクの男が滞在理由を知ってるくせに「ホテル ライフを楽しんだ?」って聞くから 「とても ! 」 それに他意はないとわかってるけど、See you again. て言う ので、願掛けの意味も込めて 「 もう君の顔は見たくないね。 明朝はね。」 と言い残して空港へ。 4月19日ザグレブ空港はオープンしてたけど、乗継のウイーン空港 閉鎖のため、フライトキャンセル。 20日も同じだった。 運行しないなら仕方ない。 自分で飛ばすことはできないので けっこう早くあきらめがつく。 連日午前6時ころチェックアウト。 重いスーツケースを持ち、 トラムとエアポートバスを乗り継いで空港へ。 乗継良ければ約40分。 ザグレブ⇒ウイーンの便は午前8時40分発なので7時前にはフライト のキャンセル自体は確定。 次のオプションをTICKETING COUNTERで相談・交渉・プッシュ。 あんな事態に航空会社スタッフも確たる回答ができるはずがない、 と分かったうえで対しているので、簡単に交渉した後はおとなしく ホテルへ。 もともと、なるようにしかならないと覚悟してるし、その時点でベストを つくそうと考えてるだけだから、我ながらけっこう気楽なヤツだなオレは、 と市内へのエアポートバス内で自己分析。 クロアチア観光局がWESTIN HOTELを25日泊まで用意してくれて いたので安心して戻る場所があった。 (Dinner, Breakfast込) 宿泊・食事の心配・費用は不要。助かりました。ありがとうございました。 これが気楽でいれた一番の要因かな。 ホテルに戻るのが午前8時30分頃。 毎度の会話が「チェックアウト? それともチェックイン?」 同じく顔なじみになった昼間のフロントデスク の女性がわかっているくせに確認する。 部屋で一休み、朝食終了間際の10時前にブランチ。 どんぶり程度のボウル一杯に『いくら』が出てるので、ライスを2人分 リクエストして『いくら』を一人占め。 クロアチアで『いくら丼』を思い切り 楽しめるなんて。 延泊してる時は『いくら丼』が毎朝の『癒し』になっていた。 毎日食べるとコレステロールの摂取過剰だな、なんて他人事のように つぶやきながら、どうせ高々数日だからと都合良く納得。 部屋に戻り、メールチェック。 インターネットアクセス無料。 持参してるノートPCをつなぎっ放しで、携帯の電話代はかかるけど、 仕事もできるし、ノルウェーに行く用事がなかったら、そのまま滞在して いたかったのも本音。 都合のいい時間に部屋でバスローブに着替え てサウナ、マッサージ、プールでゆっくりできるし。 英気を養った後は市内のクロアチア航空のカウンターで予約端末を 見てもらい自分の予約記録の状況をチェック、プッシュ。 毎日行く ので顔を覚えられてしまい、そのうち、何かをチェックしてくれ、と言っ ても面倒くさがって、ダメダメ、ムリムリと相手してくれなくなった。 最悪20日の便に乗れれば・・・と考えていた。 20日発の便に乗れば21日午前8時5分着。 コペンハーゲン経由 ベルゲン行き、予定通り飛べば成田空港を11時40分なので、 折り返し乗れる。 片道12時間のフライトはぜんぜん苦にならない けどダブルヘッダーはちょっとキツイかな。 1泊して折り返し出発 は長く仕事してると3回経験あるけど、当日折り返しは初めて。 ダブルヘッダーは、もし乗れればの話だけど、初めての経験として 楽しみ。 でもあるし、成田からスケジュールに乗るほうが便利。 まさにこの時点では最後のチャンスという意気込みだった。 20日は一部の空港が閉鎖解除決定。 いくつかのフライトが運行再開した。 でも、予約が混んでいて 無理そう。 さらに運悪く市内カウンターで顔見知りのクロアチア 航空スタッフがTICKETING COUNTERにいて、昨日までの 市内カウンターに日参していたこと(だろうか?)を他のスタッフ に話している。あきらかに、こちらを見る目がかわり、態度も一変。 何を聞いてもケンモホロロ。 少しでも条件の良いフライトを求めて 航空会社カウンターに行くのは当然だろう、何を言ってるのか、 コイツらは。 『お客様』との接点で『お客様』を迷惑がったり、 敵みたいな目で見る態度は、営利企業の一員がとる態度とは 思えない。 お前は何さまだ、と言いたいような、主客逆転の態度 をとる勘違い会社員はどこの国、どの業種、どの会社にも多いですね。 結局20日の帰国便に乗れなかった。 先にノルウェーに入っていたSTBのSさんに電話。 彼女の話では日本チーム(6名)はもともとのスケジュール、 21日発でコペンハーゲン乗換ベルゲン行きのフライトが運行 しそうで、それでノルウェーに入る予定らしい。 それに男の成田発の往路分はキャンセル済と判明。 その状況が男の頭を即切り替えさせ、ノルウェーに直接移動すること にした。 その3に続く。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ どこにも日本人はいますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| 火山噴火の影響で迷走、その1 The Long way to Norway Vol.1 |
2010年4月22日、午前9時、フランクフルト空港の搭乗ゲート7番で 男はアナウンスを聞きながら漠然と回想していた。 それまで滞在していたクロアチアのこと、フライトキャンセルが続き 連日のザグレブ空港詣での甲斐なく日本まで帰国できず、その時点 でフランクフルトにいる顛末、またもやベルゲン空港閉鎖らしいけど、 ノルウェーに向かってこの先どうなるのか、あと数日クロアチアで待ち 帰国便に乗ってノルウェー行きはキャンセルしておけばよかったか・・・ 男の予定ではクロアチアのザグレブ4月18日発(4月19日着)で 帰国便が発券されていた。 その数日前から始まった欧州各地の空港閉鎖の状況と違い、早朝 男がホテルをチェックアウトし、わずかな希をかけて詰めた19日と 20日はザグレブ空港は、ほとんどの人があきらめているのか、早朝 のためか、混乱どころか静かだった。 予定通り帰国したら2泊して4月21日成田発でノルウェーを訪問する 計画だった。 帰国して処理する予定の仕事があり、ノルウェー行きのフライトに乗る ため、出来れば4月18日発、遅くともザグレブ4月19日発(4月20日着) で帰国したかった。 それでも午前8時ころ成田に着いて、都内の会社で夕方まで半日強の 仕事、単純な事務処理と荷物の詰め直しは自宅で徹夜するにしても、 早朝成田空港へ行くには夕方から8時間程度しか使えない。 それでも帰国できたら助かる・・・当時はそんな思いだった。 その2に続く。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ どこにも日本人はいますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| カノッサの屈辱 Walk to Canossa Reggio Emilia |
雪がしんしんと降り積もる厳冬のなか、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世は 許しを請うべく、小村カノッサの城に滞在するローマ教皇グレゴリウス7世 を訪ねた。 ハインリヒの度重なる懇願にもグレゴリウスはなかなか面会 に応じなかった。 雪の中3日間、門前に佇み、カノッサ城主トスカナ女伯 マチルダのとりなしでグレゴリウスも譲歩した。 エミリアロマーニャ州、レッジョ・エミリアのカノッサ城 ( Castello di Canossa ) を訪ねてみた。 なだらかな丘に広がる緑の畑、雑木林を抜けて城入口へ。 一間ほどの門からは急こう配の坂を上り山頂へ。 石造りの礎石、残った壁の一部が時の流れを感じさせる。 室内は博物館。 撮影禁止ではなかったけどレプリカが多くなんか撮影する気分にならない。 で、本物の壁を背景に撮影。 ![]() ![]() ![]() 少しだけ経緯を・・・・・ 乱暴にも、一言で言うと、聖職叙任権をめぐり皇帝権が教皇権に屈した 象徴的事件。 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世はイタリア支配の権力を増すため、子飼の 諸侯をミラノ大司教や中部イタリアの司教に次々と任命。 教皇の権威を無視した行為に教皇グレゴリウス7世は皇帝に「行為を改め なければ帝位を失うことになる」との叱責の書簡を送った。 皇帝はこれに激怒し、教皇の廃位を決定。 教皇もローマ公会議で皇帝の廃位とハインリヒ4世の破門を宣言して応酬。 神聖ローマ帝国は混乱し、結果 諸侯は皇帝に反旗を翻す。 仕方なくハインリヒ4世は教皇に許しを請い、破門を取り消してもらう。 その舞台がカノッサ城。 その後、破門を取り消されて正統な皇帝に復帰したハインリヒ4世は 謀反を起こした諸侯を処罰した。 しかし、反省してませんね。 パフォーマンスだったんですね。 というか、下剋上の時代なんですね。 謀反を起こした諸侯もハインリヒ4世と同類に違いないし。 それに対抗して教皇は再度ハインリヒ4世を破門。 しかし今度は前回のような効力を発揮せず、ハインリヒ4世は軍を率いて イタリア遠征し、ローマ教皇グレゴリウスは逃亡先の(現在のカンパーニャ州) のサレルノで病死した。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ どこにも日本人はいますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| トリュフ祭 Fiera del Tartufo Alba, Piemonte |
トリノからバローロ、バルバレスコに寄り道し、目指すトリュフ祭が 開催されているアルバに着いたのが午後3時過ぎ。 白トリュフ、ポルチーニ、サラミ、フォルマジョ、オーリオ、ペペロンチーノ の屋台を見ながら小さな街アルバの中心へ。 トリュフも山盛りされていると、少し離れていても、外とはいえ結構いい香り に包まれる。 今夜は絶対白トリュフのスライス乗せできまり。 ![]() ![]() ![]() ![]() ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ 今年はあまり日本人はみかけません。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| マチュピチュ Machu Picchu ペルー Peru |
![]() マチュピチュを400年の眠りから覚ましたのはエール大学の考古学者の ハイラム・ビンガムで1911年のこと。 インディ・ジョーンズのモデルなった のは彼らしい。 インカ最後の都、ビルカバンバを探していた時に間違って とうか、偶然に発見された。 側道から登り、見張り小屋へ。 とりあえず、お馴染みのアングルでパチリ。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ どこにも日本人はいますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| カステルデルモンテ Castel del Monte Puglia, Italy |
見渡す限りの、背の低い木々の向こうにグングンと姿を現し 徐々に大きくなってくる。 あれがカステルデルモンテかァー。 バーリ近辺から車で小一時間。 交通の便は悪い。 ![]() フリードヒ2世が道楽で作らせたという説もあるけど、 どうしてこんなとこに・・・・・なんて考えると、 何か意味があったんじゃないかなとも思えるし・・・・・ ![]() ![]() ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ 日本人はいろんなとこに住んでますねえ。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| 華清池-2 蒋介石が監禁された兵諫亭 西安 Xian, China |
西安市内から車で小一時間、兵馬俑から車で10分程、温泉地、華清池 には1936年の西安事件の際、蒋介石が張学良らに監禁された部屋が 残っています。 オフィス、会議室、寝室、浴室、秘書室、ガードマンの部屋などがならんでいる 兵諫亭と呼ばれる建物が当時のままの状態で残されています。 ![]() ![]() ![]() ![]() 西安事件を物語る弾痕 ![]() ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| 華清池-1 玄宗皇帝と楊貴妃ゆかりの温泉 西安Xian, China |
玄宗皇帝と楊貴妃は10月から春までここで過ごしたそうです。 酒宴を連日催し、我が世の春を謳歌した・・・・・ ![]() 玄宗皇帝と楊貴妃二人がゆったり湯浴みしたという蓮華湯は縦10.6m、 横6mの大きさ。 ちょっと暗くて見にくいですね。 ![]() 楊貴妃専用の湯船、海棠湯。 こちらも暗かったですね。 ![]() こんな温泉地で半年も越冬と言うか避寒と言うか、いいですね。 でも、蜜月はそう長くは続かなかったんですよね。 世の中そんなうまくいくもんじゃない、って私よく知ってます。 ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ↑ ここでは日本人は見かけなかったですね。 ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
| 兵馬俑 西安 Xian, China |
歴史上、初めて中国統一した秦の始皇帝。 阿房宮建設、万里の長城 の建設と同時に開始したのが始皇帝陵の建設。 1974年に農民が井戸を掘った際、陶片が出てきたのがきっかけで 兵馬俑の発見につながったとのこと。 以外に最近の発見に驚き。 欧州や南米の遺跡が19世紀、20世紀初頭の発掘が多いので意識も せずに兵馬俑の発見もその頃かと思っていた。 アヘン戦争、辛亥革命、国民党と共産党の対立、日本の中国侵略、 第二次世界大戦、国民党と共産党の内戦、、、、、遺跡の発掘どころ ではないですね。 ![]() 外気に触れて変質を避けるために大部分で埋め戻されている。 将来、変質させない技術が開発されるまで埋めたままで保存するらしい。 ![]() ![]() ![]() ブログ投票 いつも清き1票ありがとうございます ご興味ありましたら↓ へ よろしくお願いします |
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